コラム「一休さんと一休み」
たまたま霊柩車の横に乗ってきた葬儀社の奥さんが言ったこと。
「なぜ、火葬で骨を残すのか?」
なかなか面白い発想とは思いませんか。
事実、現在の火葬炉は火力が強く、焼いてしまおうと思えば、骨も残さずに焼ける。それを一歩手前のところで加減をしてわざわざ骨を残すのが現状。これは、しきたりを重んじているからなのであろうか?それとも、ただ「皆がやっているから。」なのであろうか?
素直に考えれば、何か故人のものを残して、いつまでも忘れないでいてあげたいという気持ちでいいのかもしれない。
宗教の思想に、偶像崇拝がある。
つまりは、拝む対象がないとダメなのである。すがるものがないとダメなのである。
結局人間はものにこだわっているのではないでしょうか?
「骨を残さないで焼いてしまえば、納骨など、面倒なことをしなくて済むのにね。」
散骨は納骨しないですむと勘違いしている人がいるなど、葬儀も時代とともに簡略化されてきているが、そのうち骨まで焼いてしまう、そういう時代が来るのかもしれない。