コラム「一休さんと一休み」
お葬式は悲しいものです。
それは当たり前なことです。しかし、私どもが葬儀を施行する中で、当事者のお身内は、「悲しむ暇もなく忙しい」とよく言われます。それも当然でしょう。お亡くなりになられてから、葬儀を終えるまでには、葬儀屋だけでなくお身内も、いろいろなことをしなければなりません。たとえば、僧侶への連絡。近所や親戚、各方面への連絡。お手伝いの手配。葬儀の前にご自宅に来る弔問客への接待。などなど。確かに、お身内は休む暇がありません。実際に疲れ果てて倒れてしまう、お身内もいるほどです。
葬儀には、いろいろな側面がありますが(それは、また後日話します)、私は「故人と向き合う時間」、それが葬儀の本質だと考えます。しかしながら、残された遺族がこれからも社会生活を送っていくには、そればかり考えていられないと言うのが、現実でしょう。ですから、いろいろなところに気を使われるわけです。
私たちは「故人と向き合う時間」をお身内に少しでも作ってあげたいと、微力ながら努力しています。余計なこと(大事なことかもしれませんが、お身内が直接しなくてもいいこと)に気を使われずに、少しでも長く「故人と向き合う時間」を作ってあげたいと思っております。
「こんなこと葬儀屋さんに聞いたら恥ずかしいことじゃないの?」
「そんなことまで葬儀屋さんがしてくれる?」
と思われてあれこれ気を使われる前に、まず、私たちに聞いてください。例えば、「お寺さんの御布施、少し高いんで、値切ってくれます?」、「受付のお手伝いをしてくれる人がいないんですけど…」とか、これらは実際にあった質問です。確かに、できることと、できないことがありますが、何とか希望に添ったかたちになるように努力します。
涙には、ストレスを洗い流すという作用があるそうです。
故人は長く入院されていた。突然の事故にあって現実が信じられない。など、お身内は、ただでさえ、それまでの「ストレス」をもたれて葬儀にのぞまれるわけです。葬儀中に涙を流せないことは、心にとってとても負担になっているんじゃないでしょうか。
葬儀はその意味、大事な心のくすりになってもらいたいと思います。